「パロム、危ない!」
ポロムに呼びかけられて、パロムは歩みを止めた。え―――?ミシディアの町を出て
数日。試練の山に向かって旅を続けている。基本的に会話を交わすのはパロムとポロム、
セシルとポロムの組み合わせだった。よろしくな、あんちゃん!気前良く声をかけたも
のの、パロムはその後かける言葉に困っていた。声を掛けたいのに、かけるに掛けられ
ない。セシルは明らかにパロムとポロムを守らなければ、とピリピリしていたし、彼は
重責の念にかられていた。そのことについては、パロムは何も言いたくなかった。
「パロム!」
鋭い衝撃が右肩を襲う。黒い大鳥が視界を覆う。ズー!でかい!
その強鳥の爪はパロムの右肩を引き裂いた。指先まで痺れている。感覚はもう無い。
あ、だめだ、と思いながら地に倒れた。翳む視界。騎士が、駆け寄って剣の柄に手を掛
けて引き抜く。一瞬怯んだズーはその剣の切っ先を避けるように爪先を騎士の頭上に向
けた。黒い兜が引っ掛けられて飛ぶ。ズーはその大きな双翼をはばたかせて態勢を立て
直すべく上空へ避難した。パロム!駆け寄ろうとする双子の片割れにその騎士は静止を
かけた。
「ポロム!来ちゃいけない!」
ズーが再び急降下するように飛び込んで来る。向けられた長い爪を、漆黒の剣がとらえ
る。それを見届けて、パロムの視界は黒に包まれた。
来ちゃいけない――― …
その夜は雨だった。憂鬱な水滴の細かい霧雨。けれど霧が出ているわけではない。じ
っとりと肌に張り付くような感覚を、パロムは感じていた。雨は好きじゃない。窓の外
を見るとひどく暗い。いつものごとく一人残されて、呪文の書き取りである。ぶちぶち
と文句を言うたびに長老は「呪」の重要性を説くのだが、パロムにとってはどうでもよ
かった。ただただ面倒なだけである。同じ作業を淡々と繰り返し、繰り返し、繰り返し
―――。
「パロム、終わった?」
後ろから声をかけられて、ふと気づく。雨が、やんでいた事に。ポロム、あと少し。
声の主である双子の片割れを呼んだ。性別の差は、まだその幼い顔には表れていない。
よく似ている。開いたドアの向こうで、長老がなにやら他の魔道士達と話し込んでいる。
慌てふためいたような雰囲気をパロムは感じ取った。
ペンを置いて、椅子から立ち上がる。いや、立ち上がる暇はなかった。耳を劈く雷鳴
の如き轟音に両手で耳を塞ぎ、瞼を強く閉じ、屈み込んだ。きゃあ!というポロムの声
が聞こえた。ポロム!手を伸ばして、腕を引っつかむ。ついさっきまで悶々と向かい合
っていた机の下に、二人は身を寄せた。小さな机ではあったが二人には十分な大きさだ
った。今まで聞いたことの無い乱暴な機械音。……近い。身体を抜ける感覚が、そう伝
える。近い。でも一体何が?
壁の向こうで誰かが呪を唱える。―――金属音?
耳にしたことの無いような音。こんな鮮烈な音は、ミシディアじゃめったに聞きはし
ない。あるのは、町からかなり離れた鉱山での精製前の鈍い擂すれたようなくず鉄の音
ぐらいだ。鮮やかな音、まるで鎧が擦れ合い、剣の切っ先が弾ける音だ。半開きになっ
たドアの向こうに甲冑に身を包んだ男が数人見えた。…兵士、というよりもその毅然と
した身のこなしは軍人と言うべきか。肩に、鈍にびと深紅の 国章。あれは、強大な軍
事国家バロンを表して掲げられる徽章。バロンが?なぜこのミシディアに?
苦しい、パロムは左の眉頭を大きく歪ませた。聞きわけることさえかなわないような、
無数の叫び声が聞こえてくる。心の臓を鷲掴みにされているかのような感覚、嫌だ、こ
んなのは、嫌だ。がくがくと震えながらポロムはパロムの袖をつかむ。危ない、と。パ
ロムは気を、魔力を手に集中させた。自分だって震えているのに。
来る!
床が軋んだ。闇色の鎧着が目に飛び込んできた。鞘に収められた漆黒の剣から眼が離
せない。その者の手こそ柄つかに掛けられてないが、それでも齎すものは鎧袖一速の恐
怖。冷気を、持てる限りの魔力を、目を逸らさずに。闇を従えた騎士がこちらに気づく、
その一瞬に!騎士が半開きのドアに気づく、ふと足を止め首だけを向ける。今!パロム
はしがみつくポロムをそのままに机の下から駆け出た。
来ちゃいけない―――!
兜の隙間から向けられた視線は、予想を越えていた。“来ちゃいけない”?蹂躙の使
臣がそんな言葉を?音にならない警告の声。戒めの呪縛。パロムの足はドアの半歩手前
で止まった。やめて!とポロムが小さく叫ぶ。同様の視線を、パロムは知っていた。ど
うして、まるでそれじゃ悪魔の中の唯一の良心だ。相手を制することで、禍をせめてこ
れ以上増やすまいと、まるで不可避な事実を受け入れたくないと、もがいているような
視線。
その騎士は何もなかったかのように、何も気づかなかったかのように再び歩みを始め
た。祈りの塔の方へ、クリスタルの間の方へ。パロムはただ何もできないままその場に
立ち尽くした。
来ちゃいけない――― …
額の冷たさで、うとうとと現実に引き戻された。
「つめたい……。」
うっすらと開いたまぶたの狭間から、同じ顔が見える。ポロムは新しいタオルを取り
出すと、水筒のふたを開けて湿らせた。それを絞ったときの水滴がパロムの顔に飛ん
だようだった。傷、痛む?少しね…。体のだるさに、声がうまく出せない。ポロムだ
ろ白魔法。うん。白魔法ケアルは傷を全治させるものではない。治癒能力を最大限に
引き出す、それが一番の目的だった。傷から熱が出たんだと思う、暫は痛いかもしれ
ないわ。うん……。
ポロムは視線をテント越しに写る一つの影に向けた。焚き火の焔の揺らめきに合わ
せて動く。もうここ数日、彼は毎夜見張りのためにテントに入らずじまいだ。ねぇパ
ロム?何?
「セシルさんて、いい人なのかも知れないわ。」
「……そんなこと―――。」
そこまで言いかけてパロムは口と眼を閉じた。身体は抜けるようにだるい。まるで気
を失うかのようにパロムは睡魔に囚われた。パロム?……もう寝たの?問いかけには
気のないような腑抜けた返事しかできない。おやすみ。小さく言って、ポロムはパロ
ムの隣に寝転がって、静かにブランケットをはおった。
そんなこと―――オイラずっと前から知ってたよ。
試練の山まであと少し。
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